信用金庫の法人営業

 

 

この記事の要約

  • 信用金庫のビジネスモデルに持続可能性はない
  • 4年目までの業務はまったく付加価値を生み出さない「雑用」がほとんど
  • 基幹業務である「融資」の社会的な重要性は今後ますます低下する

 

 はじめに

 

この記事では「信用金庫の法人営業」がどのような仕事をしているかを紹介します。

 

私が働いていた信用金庫では、新入社員は法人顧客のもとには1週間に1回程度通い、さまざまな雑用をこなします。この業務は一般的に入社5年目になるまで続けなければなりません。融資や経営コンサルティングの話もしないわけではありませんが、5年目未満の社員には融資業務をする権限などは一切与えられていませんでした。それらの業務を担当するのは基本的には「5年目以降の男性」と決まっています。入社5年未満の社員や女性はこの「法人渉外」の仕事につくことはできません。

 

この「雑用」は決して「新人が担当する業務」ではなく、支店で営業を担当をする社員は何歳になっても、どんな役職でも全員このような業務を日常的に行います。

 


法人の顧客層について

 

業務内容を紹介する前に、まずは法人の顧客層から。

 

私が勤めていた信用金庫の法人の顧客層は、零細企業もしくは個人事業主の人々が大半です。多かれ少なかれ、信用金庫であれば同じような状況だと思います。

従業員が30名程度を超えると、超VIP先として扱われていました。

それより規模の大きな会社となると、大抵はメガバンクとの付き合いがあります。ここまでくると信用金庫は基本的に相手にされず、協調融資の仲間に入れてもらうくらいのことしかできません。

 

理由は、信用金庫は従業員の質や提案内容、貸出金利ではメガバンクの足元にも及ばないからです。ですから、信用金庫は財務内容が健全ではなく、メガバンクなど他行が手を出せない、あるいはあえて手を出さない企業に対して営業活動を展開している、というのが現状です。

 

地域金融機関はしばしば「地域密着」「face to face」といった美しい言葉を自らのアイデンティティを示す言葉として多用しますが、「規模の大きな会社には相手にしてもらえないから」という方が的を射た表現と言えるでしょう。

 

 

1-4年目:おもに3つの業務がある

 

私が法人顧客にに対し行っていた業務は、おもに3つあります。

  1. 入出金
  2. 振込
  3. 納税

です。ひとつひとつ順番に見ていきます。

初めに断っておきますが、明らかに全てが営業担当がわざわざ時間をかけて行う必要のまったくない業務です。

 


①入出金

顧客の売上金を預って口座に入金したり、現金支払いのために顧客の口座から現金を出してもっていく業務です。


現金が絡むため、過去には営業担当の着服などの不正も少なくない数が発生しています。営業担当の立場からすると、顧客にこの業務を依頼されるたびに、複数の書類への記入、上司への承認申請など、煩雑な事務手続きがあります。


現金を引き出したり預けたりなんて、顧客自身がやればいい。私はそう思います。ですが、上司からは「それらの仕事は積極的に受けるように」「依頼されたら決して断るな」という指導を受けていました。

 

これらの作業は、顧客自身が行うならば、ATMを使い1分間で終わらせられる作業です。ですが、いったん営業担当に顧客の現金が渡ることから、何重もの不正防止対策の必要があり、結果的に恐ろしいほどの労働量と時間がかかります。

 

そして、そのような雑用を積極的に行った結果として、顧客に感謝されるわけではありません。

顧客側からすると、「自分で金融機関に行って手続きをしても全く問題はないけれど、どうしてもやってくれるというのであればお願いするよ」といった感じです。

 

そもそも、もし日々発生する現金の扱いに苦慮しているのであれば、顧客自身がそのような現金取引が発生しないように、振込や電子債券などに切り替えることを積極的に進めるべきです。

 

また、メガバンクなど他行は「現金を取り扱わない店舗」といった構想を掲げ、現場社員の雑務を減らすことで「経営コンサルティング」といった「付加価値のある営業活動をいかにして展開するか」を主題に行動しています。そのような流れの中で、私の勤めていた信用金庫は「ATMでもできる入出金をわざわざ顧客のもとへ訪ねていって代行すること」を頑なに続けようとしている。そのような営業方針に、果たして持続可能性はあるのだろうか。甚だ疑問である。

 


実際に、営業担当社員の観点からどのような作業が必要か、「集金(顧客から現金を預かり口座に入金すること)」を例にとってみましょう。


現場で行うこと

  1. 顧客のもとへ出向く
  2. 預かるお金を数える(間違い防止のために2回数えます。1000万円ほど出された日には数えるだけで30分以上かかる。)
  3. 通帳と現金を預かる
  4. 営業用のタブレットに金額と預かるものを入力し、サインをもらう(1円でも金額が違ったり、預かるものじたいを一つでも間違えたり、タブレット端末に入力し忘れたり、本来預かる必要のないものを預かってしまうと、上司とともに顧客のもとに謝罪に行き、さらに始末書的なものを5,6枚書く必要がある。預かったものを機械的に入力すれば良いわけではなく、実際には預かったがタブレットには入力してはいけないもの、実際には預かっていないがタブレットには預かったことにして入力しなければならないものなど、異様に細かく自己満足的な決まりが無数にある。また、預かるものは状況に応じて品目やタブレットの操作方法が逐一変わる。)

 

支店に戻ってから行うこと

  1. 現金出納機(支店で行われる入出金を全て管理するATMの親機のようなもの)に預かったお金を入れる
  2. 上司にタブレットに入力したデータと実際に預かったものが正しいかどうか、確認してもらう
  3. 事務担当に処理を依頼するための書類を作成する(依頼するにあたり追加で書かなければならない伝票類が複数存在し、その書き方に一つでも規定の方法と異なるものがあると突き返される。)
  4. 顧客から預かったものをシステムに登録し、返却予定日などを入力する
  5. 顧客から預かったものと返却する領収証などは、専用のキャビネットに専用のケースに入れ保管する


事務処理が完了したのちに行うこと

  1. 事務担当に依頼したものを取りに行く
  2. 顧客に届けるものをシステムに入力する
  3. 顧客のもとへ出向く
  4. 通帳を返却し、内容が正しいかどうか確認してもらい、その内容をタブレット端末に登録し、顧客からサインをもらう

 

とこんな感じです。

繰り返しますが、「ATMなら1分で終わる作業」です。それにもかかわらず、わざわざ「雑用をやらせてください!」と顧客にこちらから申し出て、営業店の複数の人手と膨大な労力を浪費する。ATMは決して札の枚数を数え間違いませんし、着服もしない。たしかに、このようなことを行っていると、顧客と仲良くはなれると思う。心理学でいう「単純接触効果」だ。しかし、本当に膨大な時間をかける価値があるだろうか。もっとほかのやり方があるのではないだろうか。従業員のモチベーションの向上と、顧客を含めたあらゆるステークホルダーの厚生の増加のためにも、人間は人間にしかできない、付加価値の高い業務を積極的に行い、そうではない業務は縮小、あるいは廃止すべきではないだろうか。


ちなみに、現金を届ける場合も、ほとんど同様の手続きが必要です。

 

 

②振込

 

続いては振込です。

 

今はインターネットバンキングを使えば30秒でできます。人の手を介することなく、ネット空間で完結させられます。それを「顧客との接点を構築する」という大義名分のもと、営業自らが顧客のもとへ出向いて下記の手続きを行います。

 


現場で行うこと

  1. 顧客のもとへ出向く
  2. 振込用紙に「振込日」「振込先の名前」「ふりがな」「金融機関名」「口座番号」「振込金額」「振込人の名前」「住所」を記入してもらう(金額は訂正印不可のため、間違えたら全て書き直す必要があります。そして、顧客には字を書くことが難しい高齢者が非常に多いため、たびたび書き直してもらわねばなりません。)
  3. 口座から引き落とす場合は、伝票に「日付」「支店番号」「口座番号」「名前」「金額」を書いてもらい、押印してもらう
  4. 通帳と記入してもらった用紙を預かる
  5. 預かる振込用紙や伝票、現金の情報を営業用タブレット端末に入力し、サインをもらう

 

支店に戻ってからやること

  1. 預かった書類や伝票の内容が正しいか、またタブレット上の内容と実際に預かったものが一致しているかを上司に確認してもらい、検印をもらう
  2. 振込を事務担当者に実行してもらうための書類を作成する(「金額欄の数字が違う数字に見える」「印鑑が不鮮明」といった理由でたびたび突き返される。その場合、再び顧客の元を訪れ、訂正してもらう。)
  3. 顧客から預かったものをシステムに登録し、返却予定日などを入力する
  4. 顧客から預かったものと返却する領収証などは、専用のキャビネットに専用のケースに入れ保管する

 

事務処理が完了したのちに行うこと

  1. 事務担当に依頼したものを取りに行く
  2. 顧客に届けるものをシステムに入力する
  3. 顧客のもとへ出向く
  4. 通帳と領収証を返却し、内容が正しいかどうか確認してもらい、その内容をタブレット端末に登録し、顧客からサインをもらう

 

何度も繰り返しますが、「インターネットバンキングなら1分で終わる作業」です。

 

 


③納税

 

続いては納税です。


納税はコンビニに行けば30秒でできます。QRコードを読み取り自宅で手続きが完結するようなものもかなり一般的になってきました。

 

手続きは以下の通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もう疲れたので割愛します。何が言いたいかというと、「非常に煩雑かつ世の中に対し付加価値を一切提供しない仕事だ」ということです。

 

何度も何度も繰り返しますが、納税はコンビニに行けば30秒でできます。

 

 

なぜこのような「雑用」を積極的に行うのか

 

これらの業務は顧客から要請されて行っているというよりは、信用金庫側が自ら申し出て行っています。「入出金や納税、振込があればおっしゃってください。全て私がやります」と。

 

世の中全体の厚生を考えると、これらの業務は「無駄」でしかありません。なんと言っても、機械でできる作業を、いや、機械の方がむしろ正確な作業を、わざわざ人の手を使って行っているわけですから。その理由は以下の3つに要約できると考えます。

 

  1. 経営層の誰にも現状を改善するインセンティブがないから
  2. ほかの付加価値提供手段を構想する能力がないから
  3. 「貸し」を作り信用金庫側の提案を断りづらくするため

 

 

 

①経営層の誰にも現状を改善するインセンティブがないから

 

信用金庫は、社会的な役割は株式会社銀行とほとんど一緒ですが、準拠する法律が異なり(信用金庫法というものが存在します)、また「相互扶助組織」という株式会社とは違った統治手法がとられています。

そのような都合からか、総合職全員がプロパー社員で、転職組は一切いません(事務のオバチャンたちは別で、彼女らの入れ替わりは割と激しい)。ですから、異なる文化を受容する環境になく、非常に閉鎖的な職場風土が醸成されています。

上司は「とにかく俺の言うことを黙って聞け。そうすればいつかお前をそれなりの地位に上げてやるから」という態度です。立場が下の人間が上の人間に向かって業務に対する改善案や根本的な疑問を口にしようものなら、血祭りに上げられてしまいます。その問いが正鵠を射ていようが、物事の本質をついていようが、「上の人間に逆らった」というロジックであらゆる問いは否定されます。

 

バブル時代など、昔は金融機関の力は絶大でした。そのような時代であれば、「上位下達」の組織は効率的だったと思われます。なぜなら、黙っていても資金の借り手は多数存在したし、それゆえ単に「顧客から現金預かったり届けたり」といった業務にも重大な意味があった。

しかし、彼らは時代が変わったことに気づかず、その閉鎖的な企業風土のみが悪習として残っている。経営層はもれなくそのような風土、あるいは時代に育った人々です。そのような環境で30年間も過ごしてきたわけですから、そのような観念はいまさら変わらない。

 

日本の企業にはこのような閉鎖的な側面が多かれ少なかれあると思います。その中でも、金融機関はそのような傾向がかなり強く、信用金庫はとりわけひどいです。


信用金庫の上層部からすると、「昔からある業務だし、俺たちはそういうやり方で育ってきたのだから。他にやることもないし、まあ継続してやらせておくか。」といった感じでしょう。彼らにはもはや「顧客や世の中全体の厚生」を考慮することはなく、「信用金庫という組織内でいかに自らの地位の向上のために振る舞うか」ということしか構想できなくなっているように感じられます。信用金庫的な価値観に骨の髄まで侵されている。どうせ数年後には定年退職です。「いかに波風立てずに平穏に過ごし、十分な退職金をもらうか」ということしか考えられない。現状維持が最適な選択になることは必然でしょう。

 

 

②ほかの付加価値提供手段を構想する能力が組織にないから

 

仮に「経営方針が変わり、もう入出金や振込、納税は代行しないことにしよう」となった、あるいは顧客側から「電子的な手段に切り替えを行なったため、それらのサービスはもう必要ない」と言われたとしましょう。そのような状況になったとしても、何か新たな価値創造手段を顧客に提供することは不可能でしょう。

 

その理由は、営業職員は「顧客のもとに通う頻度」と「人間としての魅力」で勝負せよ、という昭和な精神論的文化が存在するからです。

 

先輩や上司による営業指導には、「もっとお客さまに愛される存在となれ」という非常に抽象的な言説が多様されます(「愛されるとは具体的にどういう意味か?」といった問いは絶対に許されません)。先輩に「どうすれば愛される存在になれるか」と聞くと、「そんなの自分で考えろ」と言われます。

 

このように、「経営改善に関する提案力を上げるべきだ」「金融機関が保有する膨大な顧客情報をもとにビジネスマッチングを行い、資金需要を自ら積極的に創出するべきだ」といった、他の金融機関が当然行なっているであろうことは、一切行われません。そこにあるのは用事もないのに足繁く顧客のもとへ通い、いざとなれば頭を下げて「借りてください」と言えば良いという、唾棄すべきものです。営業成績に関する反省会のような場でも、「数字が取れないのは営業担当としての人間的な魅力がないからだ」というような低次な精神論が多用される傾向にあります。

 

このような論理性に欠ける営業手法が、令和の時代にもめでたく継続されています。

 

 

③「貸し」を作り信用金庫側の提案を断りづらくするため

 

これは「いつも振込とか、納税とか、やってあげてるじゃないですか。だから融資はウチで受けてね」ということです。

この作戦の有効性は今後明らかに失われ、まったく価値を持たなくなるときがそう遠くない時代に来るでしょう。

 

また、他行には金利水準や提案力では太刀打ちできないという現実もあります。

従業員の教育方法を見直す、信用金庫にしか持ちえない情報を用い顧客の経営改善に活かすなどしなければ、今後生き残っていくことはできないでしょう。

 

「信用金庫ならではの付加価値の提供方法」は、なにも雑用を代行することではないはずです。

さもなければ、30歳未満の地域金融機関に勤める人間は、本気で考えなければならくなるでしょう。

「20年後に自分の会社が存在しているかどうか」を。

 

 

 

 

5年目以降:融資や経営コンサルティングができるように

私が信用金庫に入った理由は「融資を通じた経営支援がしたい」という理由でした。

では、4年間は雑用にいそしみ、「夢にまで見た法人渉外」への準備期間とすることはできなかったのか、という疑問は当然湧いてきます。

 

5年目になると、人によりますが基本的には「正式な法人渉外担当」ということになり、融資業務に携わる権限なども与えられます。

 

この時まで「ひたすら耐える」という選択肢もあったはずです。私が早々に辞めることを決断した理由の一つは、今の日本にとって「融資はもはや経済発展の手段として有効ではない」という確信を抱いたからです。

 

 

日本経済における「融資」の重要性はもはやない

 

融資が経済の成長にとって有効なのは、「一国の経済が拡大局面にあるとき」と「天災などで急激に経済活動が止まったとき」の2つだけです。

ですから、金融機関は「重要な社会インフラとしてなくなることは決してないが、存在意義と重要性はこの先低下し続ける」というのが私見です。

 

「経済成長が止まる」という現象は、日本だけではなく世界の先進国に共通する現象です。

 

従来の経済理論では、

①金融緩和による金利の引き下げ

金利の低下による融資の増加

③貸出の増加による設備投資と商取引の増加

④設備投資と商取引の増加による企業利益の増加

⑤企業利益の増加による給与の上昇

⑥給与の上昇による消費の増加

⑦消費の増加による企業利益の増加

…以下⑤-⑦の繰り返し…

 

国内総生産の増加(要するに経済成長)は達成できたわけです。理論上はそういうことだった。

 

ところが、日銀の量的金融緩和政策によって金利をマイナスまで引き下げても、貸出は増えなかった。

つまり、企業側から見ると「いくら借り入れコストが下がっても、売れる見込みのないものは作れない」というごく当たり前のことです。

 

 

 

横行する「ノルマのため」の営業活動

 

そのような、金融機関側から見ると貸出が伸びない厳しい時代。それでもノルマは絶えず降ってきます。

厳しいノルマを少しでも達成するためにとられる常套手段は、「優良企業に本来不必要な資金を貸し付ける」というものです。

 

財務内容が良くない企業には、なかなか融資を出すことができません。加えて、返済が不可能な状態になれば支店や自分自身の評価が下がってしまいます。

 

財務内容が良い企業であれば、貸し倒れるの心配もないですし、融資じたいも比較的簡単に出すことができます。

 

企業側も、将来的に経営が悪化する可能性も当然あるわけですから、そのいざというときのために「金融機関の言う通りに、本来不必要な資金ではあるがとりあえず借りておく」という行動に出ます。

 

 

営業店勤務は本部に行くための「苦行」

 

法人を担当する上司や先輩を見ていると、本当に辛そうに働いています。

 

営業店勤務をやりがいに働く社員は皆無と言ってもいいでしょう。多くの人にとって、本部に異動するための「耐え忍ぶとき」なのです。

 

現場の人間が誇りを持って働けない会社に存在意義はあるでしょうか。このような側面からも将来性が危ぶまれている事実が確認できるでしょう。

 

 

 

 

おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いかに銀行業が、とりわけ信用金庫業界が追い詰められているか分かっていただけたのではないかと思います。

次回は「信用金庫の個人営業」を予定しています。