信用金庫の個人営業

 

 

この記事の要約

  • おもな業務は「集金」という小口現金をひたすら集める仕事
  • あまりに高い金融商品の手数料
  • 信用金庫の金融商品は魅力ゼロ

 

 

はじめに

この記事では「信用金庫の個人営業」について紹介します。

入社して3ヶ月ほどは研修を受けます。それが終わると支店に配属されます。銀行業務に慣れること、支店で行われる業務の全体像を把握することを目的に、数ヶ月間は預金や融資に関する事務を担当します。

そして、「仕事に慣れた」と判断されるといよいよ営業現場に出ます。最初は法人顧客も担当しますが、おもに担当するのは個人顧客でした。一般的な金融機関であれば営業といえば融資や経営コンサルティング金融商品の販売が主な業務ですが、私が勤めていた信用金庫は違います。待っていたのは「集金」と呼ばれる信用金庫伝統の業務です。

 

 

信用金庫におけるキャリアプラン

個人営業がどのような仕事をするのか、また「集金とは何か?」を紹介する前に、信用金庫のキャリアプランについて紹介します。

 

1年目:研修ののちに支店に配属され、事務を担当

1-4年目:営業として配属され、主に個人の顧客を担当

5-7年目:法人の顧客を担当

7年目以降:本部に行く社員がちらほら出てくる

 

当然例外はありますが、たいていの社員はこの通りに異動させられます。

キャリアプランについて2つの印象的だったことがあるので、紹介します。

 

①画一的であり個人に選択の余地はない

例えば、本人の希望や適正により、1年目から法人の顧客を担当したり、研修を終えて本部に配属される社員がいて然るべきだと私は思います。しかし、そのような社員は全く存在しません。

「パートを除き外部人材を一切受け入れない」という文化が象徴するように、「〇〇の仕事をするには〇〇の部署で〇〇の仕事を〇〇年以上していなければならない」という観念が非常に強いです。

半年に一回の人事考課の際のアンケートには「将来的に異動したい部署」という欄がありましたが、支店長との面談時にはそのような話は一切行われませんでした。おそらく、人事部としても便宜的に質問の項目に入れてみただけなのでしょう。

 

②「命令する側になる」ためにノルマに耐える

営業現場の人間は、驚くほど自分の仕事に誇りを持っていません。「半沢直樹」でもそのような描写がありましたが、営業店で働く大半の人間の目標は「本部に異動すること」です。

その理由は、理不尽なノルマから逃れ、命令される側から命令する側へと立場を移ることで優越感を得るためです。

とある私の先輩は、何かよからぬことがあるたびに「これも本部に行くための辛抱だ」とつぶやいていたのが印象的ですが、それはほぼ全員の心中を代弁していたと言っても過言ではないでしょう。「ずっと営業の最前線で顧客の経営支援に携わりたい」という意識で仕事に臨む人間は皆無。

最前線で顧客と関わる、信用金庫において最も本質的な業務にやりがいを感じることができていない現状がある。これは組織の根幹を揺るがしかねない大問題です。もし私が信用金庫の上層部であれば、このような観念を払拭すべくあらゆる施策を打ち出します。ですが、実際にそのような行動は起こりえないでしょう。なぜなら、その仕事をすべき経営層や本部の人間は、今の自分の仕事内容や地位に関して「自らが優秀であるがゆえの当然の結果である」と本気で思っているからです。「ノルマを課されたくなかったらいい成績を残して本部に異動しろ。俺はそうやって今まさにこの地位にいるのだからな。」彼らのほとんどはこのように考えています。恥ずべきことだと思いませんか。

 

 

個人営業の業務内容

非常に多岐にわたりますが、大きく5つに分けることができます。

  • 集金
  • クレジットカード機能付きキャッシュカードへの切り替え
  • 各種金融商品の販売
  • 住宅ローンやマイカーローン、カードローンなどの個人融資
  • 年金受給口座の指定

 

などです。それぞれ紹介していきます。

 

主要業務である「集金」

集金とは、「『定期積金』と呼ばれる貯蓄型商品の掛金を、顧客の自宅まで受け取りに行くこと」を指します。まずはこの商品について説明します。例えば、「3年間にわたり毎月5万円を掛け続け、3年後に180万円に利息を加えた金額を払い戻す」といった契約を、個人が金融機関と交わすことです。期間や金額は自由に設定することができます。100円ショップに売っている「取り出すためには壊すしかない貯金箱」をイメージしていただくとわかりやすいと思います。

問題はこの商品自体にはありません。同様の商品はおそらくどの金融機関でも扱っています。問題は、この毎月数万円を集めるだけの業務を、営業担当者自らが顧客の自宅まで行き、行う点にあります。上司や本部はそのような行為を「接客の基礎を学ぶため」「頻繁に会うことで資産運用ニーズを掘り起こすことができる」と言い正当化します。しかし、本当にそれだけの人件費と労力を費やすだけの価値があるのでしょうか。

「ない」というのが私の判断です。当然ですが、普通預金の口座から自動で振り替えることもできるのです。人の手を介さずにできることを、わざわざ手間と労力をかけて行う。ボケつつある後期高齢者の元へ行き、「いやあ、今日はいい天気ですね!お元気そうで何よりです!」みたいな定型的な会話をしつつ、10分程度雑談をしてまた次の家へ...。日によってはこの業務だけで1日が終了します。大学の同期なんかはそれぞれの業界の専門知識を身につけたり、バリバリ営業として活躍している奴もいる。そんな中、自分だけ来る日も来る日も後期高齢者の雑談相手。業務そのものはなんら付加価値を生産しない。それはもう、私にとっては死にたくなるほどの苦行でした。そしてこの業務は少なくとも2年間はやらなければなりません。

そんな業務を日々行なっていては、ビジネスマンとしてのスキルは当然何も身につきません。

あるいは老人ホームに転職することがあれば前職のスキルが役に立つかもしれません。少なくとも私は、「おばあちゃん、おじいちゃんと心の距離を縮めることに関しては自信があります!」と採用面接で堂々主張することができるでしょう。

また、顧客の間に「信用金庫職員はどんな雑用もやる」という観念が定着しているため、「通帳の記帳」や「定期刊行物の配達」、「ティッシュやメモ帳など粗品の配達」という謎の業務を押し付けられても、決して断ることはできません。

 

 

なぜ「集金」をするのか

そもそも集金は何のためにやるのか。なぜそのような業務が令和の時代に継続されているのか。

日本にはかつて金利水準が高く、経済成長が著しい時代がありました。結論から述べると、「その時代には有用な業務だったから」だと考えます。


そのような時代では、企業は積極的な設備投資を行い、そのために金融機関から積極的に借入を行います。金融機関の側に立つと、貸出をするためにはその原資である預金を積極的に集めなければならない。日本全体で資金需要が旺盛で、ゆえに金利も高水準が維持される。つまり、個人顧客からの「預金」が喉から手が出るほど欲しい状態。顧客からとりあえず預金さえしてもらえれば、それが即貸し出しの資金として活用され、金融機関の収益になっていた。ひいては、それが世の中の経済発展のためになっていた。そんな時代が過去にはありました。

そのような時代であれば、「集金」業務のやりがいもあるものです。わざわざ顧客の自宅を訪問してまで行う価値もあったことでしょう。しかし、2020年現在の経済状況で同様の職務を行う意義はあるのでしょうか。経営上層部や本部の連中は、金融情勢が変化していることを認識していないのだろうか。どうして30年前の営業スタイルが現代に通用すると信じ込むことができるのだろうか。要するに、それに代わる新たな方針を打ち出す能力がないために惰性で続けているだけです。

 

 

間接金融の終焉を提示する「預貸率」

ここで、「預貸率」という指標に注目してみます。これは「金融機関に預金された資金がどの程度融資として世の中に出回っているか」を示す指標です。分母に「預金残高」、分子に「貸出残高」をとることで計算できます。

この数字に注目することで、金融機関の「預金として資金を集め、その資金を貸し、その利率の差で利益をあげる」というビジネスモデルが終わりを迎えつつあることがわかります。

私の勤めていた信用金庫では、預金全体のうち貸出に回っている割合を示す「預貸率」は40%を割り込んでいます。また、たいていの金融機関で急激に減少しています。

つまり、これ以上顧客から預金されても、貸し出しには回らず、日本経済にとって有用な資金とはならない。

 

「金融機関自身が株式などで運用して利益を出せばいい」と考える方もいるかもしれません。しかし、当然ですが商業銀行の運用原資は元本が保証された預金です。ゆえに、絶対安全である(世の中に絶対なんてことはあり得ませんが)日本国債や超優良企業の社債を購入するか、日銀当座預金に放置する他に資金の使い道がないのが現状であり、それらのたいていの利回りは限りなくゼロに近いか、あるいはマイナスです。一部REITや株式で運用されている資金がないわけでもありませんが、上記の理由からそれらはごく少数です。

 

業務の話に戻ります。

この「集金」を、月に100-150件程度行います。営業日を20日と仮定すると、一日あたり5-7件。実際は5の倍数の日付など、特定の日にちにこの業務が集中することが多く、その日はそれだけで一日が終わります。

日銀の当座預金に眠り続け、マイナス利回りの国債社債を購入する以外に使い道のない資金を、1,2万円単位で、後期高齢者から集め続ける日々。

ああ、なんて世の中のためになる、素晴らしい仕事だろうか。


信用金庫の個人営業の客層

その「集金」というサービスは、どのような層から需要があるのか。

個人の顧客層は、高齢者、とりわけ働いていない、年金暮らしの人々が圧倒的多数です。


もっとも、口座を保有しているだけならさまざまな年代の人々がいるはずですが、営業担当者が関わるのは高齢者のみといっても良いでしょう。理由は、自宅まで訪問し、何度も顔を合わせて信頼関係を築き、金融商品の契約につなげるという営業スタイルのため、そもそも勤労者層は自宅にいません。

小学校の給食費振込口座などに指定させることで口座を強制的に作成させるまではいいものの、学校に通っている子どもがいるような家庭は両親ともに働いていることが多く、まったくと言っていいほど接点が構築できていないのが現状です。

ゆえに、信用金庫の個人営業に就職すると、毎日のようにおじいちゃん、おばあちゃんと「今日の天気について」や「ご近所の〇〇さんについての噂話」を聞くことができます。本当に愉快な日々でした。

 

 

自分が客なら不要!「クレジットカード機能付きキャッシュカード」

先輩が言うには、「営業として一人前になるためには誰もが通る道」だそうです。

信用金庫の商品全般にいえることだが、「とにかく商品自体の魅力がない」。

 

信用金庫で金融商品を買う人は、

  1. 幸運にも親戚に信用金庫の人間がいて、付き合いで商品を買わされちゃっている人
  2. 自分自身が信用金庫の職員である(ノルマ未達成のときに強制的に買わされることがある)
  3. 過去に融資を受けたなどの関係から、なんとなく断りづらい感じになっちゃっている人

のどれかに当てはまります。

 

何度も繰り返しますが、一定レベルの金融リテラシーを持つ人の中であえて信用金庫で金融商品を購入する人は、絶対にいません。だから「わざと顧客にとって魅力のない商品を目指して設計しているのか」と思えるほどです。

私が働いていた信用金庫の「クレジットカード機能付きキャッシュカード」は、メガバンクの同様のものよりポイント還元率が低く、ATM使用手数料がかからなくなるなどの特典も非常に薄いです。まあ、これを契約する人間なんてお願いされて作る人だけだから、そんなことはほとんど気にしていないと思いますが。とにかく、所有するのに手数料はかからないので、営業担当としてはそれだけが救いでした。

また、当然と言えば当然ですが、普段から取引をしているような顧客はほぼ全員このカードをすでに所有しています。過去の営業担当がお願いしまくって作らせているからです。笑。それゆえ、ノルマをクリアするためには、「新規開拓」といって口座を持っていない家のインターホンを片っ端から押していったりもしていました。これもなかなか辛かったのですが、この話はまたいつか。

 

 

おもな金融商品

多数の金融商品を扱いますが、主要な運用商品である「投資信託」と「外貨定期預金」「国債」を紹介します。

 

投資信託

株式や債券、不動産を資産運用会社(日本だと〇〇アセットマネジメントといった会社のことです)のプロが運用し、その収益を出資割合に応じて還元する金融商品です。

投資信託自体は私も保有しており、「長期的に資産を増やす」という目的であれば非常に優れた商品であることは間違いありません。しかし、信用金庫で販売する投資信託は購入すべきではありません。なぜなら手数料が高すぎるからです。私はネット証券で口座を開設しています。

投資信託には3種類の手数料があり、そのどれもが非常に高額です。ネット証券では、さまざまな特典と組み合わせることでこの手数料を限りなくゼロに近づけることができます。

それにもかかわらず、信用金庫業界ではインデックス型の投資信託とほとんど変わらないファンドをアクティブファンドとして設定し、購入時だけで3%ほどの手数料をぼったくるファンドも平気で存在します。1,000万円分購入したとすると、それだけで33万円の手数料。しかし、営業も「他にもっと安い手数料で買えるところがあるんだけどね」とは絶対に言いません。営業された高齢者はなんだかんだでうまいこと言いくるめられて、商品の内容を理解できないまま、他の金融機関と商品内容を比較することを許されないまま商品を買わされます。

これは金融業界に限ったことではなく(金融業界はとりわけそのような詐欺師的傾向がかなり強いものの)、資本主義社会が包含する闇です。「資本家による利益の追求」を社会発展の原動力としてあらゆる制度が設計されている現代社会においては、私一人が声をあげたとことで状況は変わりません。自動車会社がスポンサーのドラマでは決して交通事故は発生せず、ビール会社がスポンサーのドラマではアルコール中毒に苦しむ人物は決して登場しないのと同じです。

大切なのは適切な知識や情報を得て、自分自身が不幸にならないように、それをうまく避けることだけです。

 

②外貨定期預金

現在の日本の定期預金の利率は0.001%です。これは、100万円を預けると1年後に元本に加え「100円」がプラスされて戻ってくるということです。つまり、利息では自動販売機で飲み物すら買えない。

そこで、「日本の金利が低すぎるから、金利の高い外国の通貨で資産を運用しよう」というのが「外貨定期預金」の趣旨です。


金利が低すぎてもはやただのギャンブルに

ですが、ここ2、3年で先進国の金利は軒並み下がり、外貨定期預金の商品としての魅力はほとんど無くなりました。かつては「多少の為替変動リスクはありますが、利率が高いので長期間保有していただくと良い運用ができます」と言える商品でしたが、今となってはもはや「ただのギャンブル」です。「株価」や「地価」は経済が発展し続けると仮定すれば「長期間保有することで値上がりが期待できる」とも言えますが、為替に関しては単純な「ゼロサムゲーム」です。

それにもかかわらず、私の先輩は「私の言うタイミングで解約すれば損はしません」と言って売ったり、ノルマ達成のために短期間で売却させて利益の分から新たな契約を迫るなど、いわゆる「回転販売」が横行していました。

 

 

年金暮らしの高齢者に資産運用は不要

ここでひとつ、「資産運用をするべきか」という問いについて。近年「老後資金2,000万円問題」など、資産運用の必要性を訴えるニュースには事欠きません。

私が「投資をすべきである」と自信を持って勧められる人間は、

  1. これから多額の給与収入が見込まれる若者
  2. 単純にカネをたくさん持っている

このどちらかだけです。

 

これらに共通することとして、「失ってもあまり痛くない」ということが言えます。

日本の金融機関が信頼に値する組織であれば、「小学生の子どもがいる40代の夫婦」なんかにも積極的な資産運用を勧めたいところです。ですが、2020年現在の金融機関の個人営業の人間は、残念ながら信頼するに値しません。

彼らは「顧客の利益になる商品」よりも「金融機関の利益になる商品」を優先的に売ることを会社によって義務付けられています。いくら金融機関が「顧客本意の営業」を標榜しようと、金融機関というのは利益を獲得してそれを株主に分配するための組織です。なにも彼らが悪いと言っているわけではありません。彼らの上司がそれを義務付けるのであり、資本主義社会のシステムがそうさせるのです。

だから、「日々の生活費を年金に頼っている後期高齢者」は、元本保証ではない金融商品なんか購入するべきではないのです。どうしても購入したいのであれば、自分で完全に商品内容を理解したうえで購入するか、あるいは信頼できる金融リテラシーの高い親戚や友人に頼るかのどちらかはしたほうがいい。さもなければ、金融機関の利益のために私財をなげうつことになります。このような業界の現状に罪悪感を覚える人も少なくないでしょう。ですが、金融機関の人間も仕事ですから、売らざるをえません。そうするインセンティブが彼らにはあるのです。金融機関の人間は、自らの社会的な地位や生活のために、平気で顧客を騙します。「顧客に適した商品」ではなく、「自分たちが売りたい商品」を売ります。一般消費者にできることは、「彼らには顧客の利益よりも会社の利益を優先するインセンティブがある」ということを忘れないことだけです。

 

 

国債

国債は、政府が発行するものなので、どこの金融機関で購入しても同じです。

したがって、とりわけ述べることもありません。

 

金利は0.05%。100万円分購入すると、3年間にわたり半年に一度250円が支払われ、3年後に100万円が返還される、という商品です。

中途解約は原則的にできないことなどを考えると、あまり魅力的な商品とはいえません。

 

 

もっと他にやることないの?「年金受給口座」指定運動

次は「年金に関する営業活動」についてです。信用金庫の体質を語るうえで欠かせないことです。

 

ノルマの一つに、「年金受給口座の指定」というのがありました。「指定してもらうことでメインの口座として使ってもらい、金融商品の販売に繋げよう」という趣旨は理解できなくもないです。しかし、「年金を受給できる資格があるのに受給していない人」はいません。当然、皆どこかしらの金融機関で受け取っているわけです。よって、変更してもらうとすると、必然的に「今受け取っている口座から、何枚もの変更のための書類を書いてもらう」ことになります。


ここで、顧客側の視点に立つと「変更することでどんなメリットがあるのか」という話になります。当たり前ですが。

結論からいうと、メリットなんてありません。ときどき何か年金受給者専用のプレゼントを配ったり、定期預金の金利を優遇するなどの特典がありますが、そんなこと他の金融機関でもやっています。


それゆえ、「なんとか変更してくれませんか。お願いします!お願いします!」という営業方法以外に方法がない。顧客の自宅に突如押しかけ、インターフォンを押して、「年金受給口座に指定してください!」という営業方法を選択せざるをえません。過去には、ノルマに達していないからと、支店地域内の全ての顧客リストを渡され、片っ端からお願い電話をさせられたこともありました。そんな営業方法で成果が出ると本気で思っているのだろうか。

 

どうやら、経営層は「従業員の給料」を機会費用として認識することができないようです。要するに、月給が30万円、出勤日数が月に20日だと仮定し、非効率なインターホン突撃営業を1日中させられたとすると、それだけで15,000円の費用がかかっているということ。その機会費用を融資や金融商品の販売で取り戻すためには、どれほどの労力が必要か、認識すべきではないだろうか。決して難しいことではない。それさえ認識できれば、このような非効率な営業方法が選択されることはないはずだ。

 

また、一個人が年金受給金融機関を変更したところで、経済にどのような影響があるのか。まったくありません。そのような行為に、営業の人員と労力を使う意味はあるのか。正当な経済活動であると、あるいは「世の中に対する付加価値の提供」だと自信を持って言えるのだろうか。本部の連中が「仕事している感」を出すために提案された、最も愚かな戦略の一つです。この業務により私は、途方のない無気力感を味わったのでした。

 

 

ノルマを課せば数字が取れると思っているのか!?「ローン性商品」

この項目でお伝えしたいのは、「マーケティングが下手すぎる」ということ。

前項目で紹介した投資信託や保険などの「金融商品」は、営業としての実力が試されると私は考えています。その理由は、

  1. 顧客と信頼関係を築く
  2. 何気ない会話から潜在的なニーズを把握する
  3. 論理的かつ的確に商品の魅力を伝える
  4. 契約に至る

というプロセスを経る必要があり、それは営業の人間にしかできない仕事です。営業戦術の一つとして、顧客の自宅に積極的に訪問するということも有効でしょう。

 

もし金融機関の人間の話を聞いた顧客が、資産を預金ではなくリスクのある資産で運用してみようと思ったと考えたとすると、それは非常に素晴らしいことです。営業の人間の実力を示す客観的な事実でもあり、社会的な厚生という面から見ても、資金が預金という「間接金融市場」からよりリスクがある代わりにリターンも大きい「直接金融市場」に流入し、日本経済が活発になった瞬間でもあります。

 

一方で、住宅ローンやマイカーローン、教育ローン、カードローンなどの「ローン性の商品」は、「営業をすれば売れる」というものなのでしょうか。

その答えは「否」です。このような商品は、人生の段階に応じて必要なときが決まっている。つまり、「必要なときは必要だし、不必要なときは不必要」な商品です。営業担当の立場からすると、この項目を達成するため(あるいは達成しようとする意志だけでも誇示するため)に、「ローン性の営業に特化する日」が設けられていました。このようなローン性の商品に限っては、営業の技術は活かしようがない。当然ですが、住宅ローンを組む可能性があるのは家を買うつもりの人だけ。マイカーローンを組む可能性があるのは、車を買う予定のある人だけ。「資産運用の重要性を訴える」こととは根本的に性質が異なります。

つまり、「いざ必要になったときに自社の商品を選択してもらう」ことが最重要なわけで、営業の人間の努力や技量によって数字が上がる類の商品ではないのです。しかし、私が勤めていた信用金庫の本部や上層部の人間は、「商品の特性ごとに適したマーケティング手法を使い分ける」という発想には至らないようでした。他の商品と同様に、毎月のようにノルマを課せば数字が上がると本気で信じている。

 

 

 

終わりに

 

ずいぶん長くなってしまいましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。

次回は「銀行業界の将来性」について書く予定です。お楽しみに!