信用金庫の個人営業

 

 

この記事の要約

  • おもな業務は「集金」という小口現金をひたすら集める仕事
  • あまりに高い金融商品の手数料
  • 信用金庫の金融商品は魅力ゼロ

 

 

はじめに

この記事では「信用金庫の個人営業」について紹介します。

入社して3ヶ月ほどは研修を受けます。それが終わると支店に配属されます。銀行業務に慣れること、支店で行われる業務の全体像を把握することを目的に、数ヶ月間は預金や融資に関する事務を担当します。

そして、「仕事に慣れた」と判断されるといよいよ営業現場に出ます。最初は法人顧客も担当しますが、おもに担当するのは個人顧客でした。一般的な金融機関であれば営業といえば融資や経営コンサルティング金融商品の販売が主な業務ですが、私が勤めていた信用金庫は違います。待っていたのは「集金」と呼ばれる信用金庫伝統の業務です。

 

 

信用金庫におけるキャリアプラン

個人営業がどのような仕事をするのか、また「集金とは何か?」を紹介する前に、信用金庫のキャリアプランについて紹介します。

 

1年目:研修ののちに支店に配属され、事務を担当

1-4年目:営業として配属され、主に個人の顧客を担当

5-7年目:法人の顧客を担当

7年目以降:本部に行く社員がちらほら出てくる

 

当然例外はありますが、たいていの社員はこの通りに異動させられます。

キャリアプランについて2つの印象的だったことがあるので、紹介します。

 

①画一的であり個人に選択の余地はない

例えば、本人の希望や適正により、1年目から法人の顧客を担当したり、研修を終えて本部に配属される社員がいて然るべきだと私は思います。しかし、そのような社員は全く存在しません。

「パートを除き外部人材を一切受け入れない」という文化が象徴するように、「〇〇の仕事をするには〇〇の部署で〇〇の仕事を〇〇年以上していなければならない」という観念が非常に強いです。

半年に一回の人事考課の際のアンケートには「将来的に異動したい部署」という欄がありましたが、支店長との面談時にはそのような話は一切行われませんでした。おそらく、人事部としても便宜的に質問の項目に入れてみただけなのでしょう。

 

②「命令する側になる」ためにノルマに耐える

営業現場の人間は、驚くほど自分の仕事に誇りを持っていません。「半沢直樹」でもそのような描写がありましたが、営業店で働く大半の人間の目標は「本部に異動すること」です。

その理由は、理不尽なノルマから逃れ、命令される側から命令する側へと立場を移ることで優越感を得るためです。

とある私の先輩は、何かよからぬことがあるたびに「これも本部に行くための辛抱だ」とつぶやいていたのが印象的ですが、それはほぼ全員の心中を代弁していたと言っても過言ではないでしょう。「ずっと営業の最前線で顧客の経営支援に携わりたい」という意識で仕事に臨む人間は皆無。

最前線で顧客と関わる、信用金庫において最も本質的な業務にやりがいを感じることができていない現状がある。これは組織の根幹を揺るがしかねない大問題です。もし私が信用金庫の上層部であれば、このような観念を払拭すべくあらゆる施策を打ち出します。ですが、実際にそのような行動は起こりえないでしょう。なぜなら、その仕事をすべき経営層や本部の人間は、今の自分の仕事内容や地位に関して「自らが優秀であるがゆえの当然の結果である」と本気で思っているからです。「ノルマを課されたくなかったらいい成績を残して本部に異動しろ。俺はそうやって今まさにこの地位にいるのだからな。」彼らのほとんどはこのように考えています。恥ずべきことだと思いませんか。

 

 

個人営業の業務内容

非常に多岐にわたりますが、大きく5つに分けることができます。

  • 集金
  • クレジットカード機能付きキャッシュカードへの切り替え
  • 各種金融商品の販売
  • 住宅ローンやマイカーローン、カードローンなどの個人融資
  • 年金受給口座の指定

 

などです。それぞれ紹介していきます。

 

主要業務である「集金」

集金とは、「『定期積金』と呼ばれる貯蓄型商品の掛金を、顧客の自宅まで受け取りに行くこと」を指します。まずはこの商品について説明します。例えば、「3年間にわたり毎月5万円を掛け続け、3年後に180万円に利息を加えた金額を払い戻す」といった契約を、個人が金融機関と交わすことです。期間や金額は自由に設定することができます。100円ショップに売っている「取り出すためには壊すしかない貯金箱」をイメージしていただくとわかりやすいと思います。

問題はこの商品自体にはありません。同様の商品はおそらくどの金融機関でも扱っています。問題は、この毎月数万円を集めるだけの業務を、営業担当者自らが顧客の自宅まで行き、行う点にあります。上司や本部はそのような行為を「接客の基礎を学ぶため」「頻繁に会うことで資産運用ニーズを掘り起こすことができる」と言い正当化します。しかし、本当にそれだけの人件費と労力を費やすだけの価値があるのでしょうか。

「ない」というのが私の判断です。当然ですが、普通預金の口座から自動で振り替えることもできるのです。人の手を介さずにできることを、わざわざ手間と労力をかけて行う。ボケつつある後期高齢者の元へ行き、「いやあ、今日はいい天気ですね!お元気そうで何よりです!」みたいな定型的な会話をしつつ、10分程度雑談をしてまた次の家へ...。日によってはこの業務だけで1日が終了します。大学の同期なんかはそれぞれの業界の専門知識を身につけたり、バリバリ営業として活躍している奴もいる。そんな中、自分だけ来る日も来る日も後期高齢者の雑談相手。業務そのものはなんら付加価値を生産しない。それはもう、私にとっては死にたくなるほどの苦行でした。そしてこの業務は少なくとも2年間はやらなければなりません。

そんな業務を日々行なっていては、ビジネスマンとしてのスキルは当然何も身につきません。

あるいは老人ホームに転職することがあれば前職のスキルが役に立つかもしれません。少なくとも私は、「おばあちゃん、おじいちゃんと心の距離を縮めることに関しては自信があります!」と採用面接で堂々主張することができるでしょう。

また、顧客の間に「信用金庫職員はどんな雑用もやる」という観念が定着しているため、「通帳の記帳」や「定期刊行物の配達」、「ティッシュやメモ帳など粗品の配達」という謎の業務を押し付けられても、決して断ることはできません。

 

 

なぜ「集金」をするのか

そもそも集金は何のためにやるのか。なぜそのような業務が令和の時代に継続されているのか。

日本にはかつて金利水準が高く、経済成長が著しい時代がありました。結論から述べると、「その時代には有用な業務だったから」だと考えます。


そのような時代では、企業は積極的な設備投資を行い、そのために金融機関から積極的に借入を行います。金融機関の側に立つと、貸出をするためにはその原資である預金を積極的に集めなければならない。日本全体で資金需要が旺盛で、ゆえに金利も高水準が維持される。つまり、個人顧客からの「預金」が喉から手が出るほど欲しい状態。顧客からとりあえず預金さえしてもらえれば、それが即貸し出しの資金として活用され、金融機関の収益になっていた。ひいては、それが世の中の経済発展のためになっていた。そんな時代が過去にはありました。

そのような時代であれば、「集金」業務のやりがいもあるものです。わざわざ顧客の自宅を訪問してまで行う価値もあったことでしょう。しかし、2020年現在の経済状況で同様の職務を行う意義はあるのでしょうか。経営上層部や本部の連中は、金融情勢が変化していることを認識していないのだろうか。どうして30年前の営業スタイルが現代に通用すると信じ込むことができるのだろうか。要するに、それに代わる新たな方針を打ち出す能力がないために惰性で続けているだけです。

 

 

間接金融の終焉を提示する「預貸率」

ここで、「預貸率」という指標に注目してみます。これは「金融機関に預金された資金がどの程度融資として世の中に出回っているか」を示す指標です。分母に「預金残高」、分子に「貸出残高」をとることで計算できます。

この数字に注目することで、金融機関の「預金として資金を集め、その資金を貸し、その利率の差で利益をあげる」というビジネスモデルが終わりを迎えつつあることがわかります。

私の勤めていた信用金庫では、預金全体のうち貸出に回っている割合を示す「預貸率」は40%を割り込んでいます。また、たいていの金融機関で急激に減少しています。

つまり、これ以上顧客から預金されても、貸し出しには回らず、日本経済にとって有用な資金とはならない。

 

「金融機関自身が株式などで運用して利益を出せばいい」と考える方もいるかもしれません。しかし、当然ですが商業銀行の運用原資は元本が保証された預金です。ゆえに、絶対安全である(世の中に絶対なんてことはあり得ませんが)日本国債や超優良企業の社債を購入するか、日銀当座預金に放置する他に資金の使い道がないのが現状であり、それらのたいていの利回りは限りなくゼロに近いか、あるいはマイナスです。一部REITや株式で運用されている資金がないわけでもありませんが、上記の理由からそれらはごく少数です。

 

業務の話に戻ります。

この「集金」を、月に100-150件程度行います。営業日を20日と仮定すると、一日あたり5-7件。実際は5の倍数の日付など、特定の日にちにこの業務が集中することが多く、その日はそれだけで一日が終わります。

日銀の当座預金に眠り続け、マイナス利回りの国債社債を購入する以外に使い道のない資金を、1,2万円単位で、後期高齢者から集め続ける日々。

ああ、なんて世の中のためになる、素晴らしい仕事だろうか。


信用金庫の個人営業の客層

その「集金」というサービスは、どのような層から需要があるのか。

個人の顧客層は、高齢者、とりわけ働いていない、年金暮らしの人々が圧倒的多数です。


もっとも、口座を保有しているだけならさまざまな年代の人々がいるはずですが、営業担当者が関わるのは高齢者のみといっても良いでしょう。理由は、自宅まで訪問し、何度も顔を合わせて信頼関係を築き、金融商品の契約につなげるという営業スタイルのため、そもそも勤労者層は自宅にいません。

小学校の給食費振込口座などに指定させることで口座を強制的に作成させるまではいいものの、学校に通っている子どもがいるような家庭は両親ともに働いていることが多く、まったくと言っていいほど接点が構築できていないのが現状です。

ゆえに、信用金庫の個人営業に就職すると、毎日のようにおじいちゃん、おばあちゃんと「今日の天気について」や「ご近所の〇〇さんについての噂話」を聞くことができます。本当に愉快な日々でした。

 

 

自分が客なら不要!「クレジットカード機能付きキャッシュカード」

先輩が言うには、「営業として一人前になるためには誰もが通る道」だそうです。

信用金庫の商品全般にいえることだが、「とにかく商品自体の魅力がない」。

 

信用金庫で金融商品を買う人は、

  1. 幸運にも親戚に信用金庫の人間がいて、付き合いで商品を買わされちゃっている人
  2. 自分自身が信用金庫の職員である(ノルマ未達成のときに強制的に買わされることがある)
  3. 過去に融資を受けたなどの関係から、なんとなく断りづらい感じになっちゃっている人

のどれかに当てはまります。

 

何度も繰り返しますが、一定レベルの金融リテラシーを持つ人の中であえて信用金庫で金融商品を購入する人は、絶対にいません。だから「わざと顧客にとって魅力のない商品を目指して設計しているのか」と思えるほどです。

私が働いていた信用金庫の「クレジットカード機能付きキャッシュカード」は、メガバンクの同様のものよりポイント還元率が低く、ATM使用手数料がかからなくなるなどの特典も非常に薄いです。まあ、これを契約する人間なんてお願いされて作る人だけだから、そんなことはほとんど気にしていないと思いますが。とにかく、所有するのに手数料はかからないので、営業担当としてはそれだけが救いでした。

また、当然と言えば当然ですが、普段から取引をしているような顧客はほぼ全員このカードをすでに所有しています。過去の営業担当がお願いしまくって作らせているからです。笑。それゆえ、ノルマをクリアするためには、「新規開拓」といって口座を持っていない家のインターホンを片っ端から押していったりもしていました。これもなかなか辛かったのですが、この話はまたいつか。

 

 

おもな金融商品

多数の金融商品を扱いますが、主要な運用商品である「投資信託」と「外貨定期預金」「国債」を紹介します。

 

投資信託

株式や債券、不動産を資産運用会社(日本だと〇〇アセットマネジメントといった会社のことです)のプロが運用し、その収益を出資割合に応じて還元する金融商品です。

投資信託自体は私も保有しており、「長期的に資産を増やす」という目的であれば非常に優れた商品であることは間違いありません。しかし、信用金庫で販売する投資信託は購入すべきではありません。なぜなら手数料が高すぎるからです。私はネット証券で口座を開設しています。

投資信託には3種類の手数料があり、そのどれもが非常に高額です。ネット証券では、さまざまな特典と組み合わせることでこの手数料を限りなくゼロに近づけることができます。

それにもかかわらず、信用金庫業界ではインデックス型の投資信託とほとんど変わらないファンドをアクティブファンドとして設定し、購入時だけで3%ほどの手数料をぼったくるファンドも平気で存在します。1,000万円分購入したとすると、それだけで33万円の手数料。しかし、営業も「他にもっと安い手数料で買えるところがあるんだけどね」とは絶対に言いません。営業された高齢者はなんだかんだでうまいこと言いくるめられて、商品の内容を理解できないまま、他の金融機関と商品内容を比較することを許されないまま商品を買わされます。

これは金融業界に限ったことではなく(金融業界はとりわけそのような詐欺師的傾向がかなり強いものの)、資本主義社会が包含する闇です。「資本家による利益の追求」を社会発展の原動力としてあらゆる制度が設計されている現代社会においては、私一人が声をあげたとことで状況は変わりません。自動車会社がスポンサーのドラマでは決して交通事故は発生せず、ビール会社がスポンサーのドラマではアルコール中毒に苦しむ人物は決して登場しないのと同じです。

大切なのは適切な知識や情報を得て、自分自身が不幸にならないように、それをうまく避けることだけです。

 

②外貨定期預金

現在の日本の定期預金の利率は0.001%です。これは、100万円を預けると1年後に元本に加え「100円」がプラスされて戻ってくるということです。つまり、利息では自動販売機で飲み物すら買えない。

そこで、「日本の金利が低すぎるから、金利の高い外国の通貨で資産を運用しよう」というのが「外貨定期預金」の趣旨です。


金利が低すぎてもはやただのギャンブルに

ですが、ここ2、3年で先進国の金利は軒並み下がり、外貨定期預金の商品としての魅力はほとんど無くなりました。かつては「多少の為替変動リスクはありますが、利率が高いので長期間保有していただくと良い運用ができます」と言える商品でしたが、今となってはもはや「ただのギャンブル」です。「株価」や「地価」は経済が発展し続けると仮定すれば「長期間保有することで値上がりが期待できる」とも言えますが、為替に関しては単純な「ゼロサムゲーム」です。

それにもかかわらず、私の先輩は「私の言うタイミングで解約すれば損はしません」と言って売ったり、ノルマ達成のために短期間で売却させて利益の分から新たな契約を迫るなど、いわゆる「回転販売」が横行していました。

 

 

年金暮らしの高齢者に資産運用は不要

ここでひとつ、「資産運用をするべきか」という問いについて。近年「老後資金2,000万円問題」など、資産運用の必要性を訴えるニュースには事欠きません。

私が「投資をすべきである」と自信を持って勧められる人間は、

  1. これから多額の給与収入が見込まれる若者
  2. 単純にカネをたくさん持っている

このどちらかだけです。

 

これらに共通することとして、「失ってもあまり痛くない」ということが言えます。

日本の金融機関が信頼に値する組織であれば、「小学生の子どもがいる40代の夫婦」なんかにも積極的な資産運用を勧めたいところです。ですが、2020年現在の金融機関の個人営業の人間は、残念ながら信頼するに値しません。

彼らは「顧客の利益になる商品」よりも「金融機関の利益になる商品」を優先的に売ることを会社によって義務付けられています。いくら金融機関が「顧客本意の営業」を標榜しようと、金融機関というのは利益を獲得してそれを株主に分配するための組織です。なにも彼らが悪いと言っているわけではありません。彼らの上司がそれを義務付けるのであり、資本主義社会のシステムがそうさせるのです。

だから、「日々の生活費を年金に頼っている後期高齢者」は、元本保証ではない金融商品なんか購入するべきではないのです。どうしても購入したいのであれば、自分で完全に商品内容を理解したうえで購入するか、あるいは信頼できる金融リテラシーの高い親戚や友人に頼るかのどちらかはしたほうがいい。さもなければ、金融機関の利益のために私財をなげうつことになります。このような業界の現状に罪悪感を覚える人も少なくないでしょう。ですが、金融機関の人間も仕事ですから、売らざるをえません。そうするインセンティブが彼らにはあるのです。金融機関の人間は、自らの社会的な地位や生活のために、平気で顧客を騙します。「顧客に適した商品」ではなく、「自分たちが売りたい商品」を売ります。一般消費者にできることは、「彼らには顧客の利益よりも会社の利益を優先するインセンティブがある」ということを忘れないことだけです。

 

 

国債

国債は、政府が発行するものなので、どこの金融機関で購入しても同じです。

したがって、とりわけ述べることもありません。

 

金利は0.05%。100万円分購入すると、3年間にわたり半年に一度250円が支払われ、3年後に100万円が返還される、という商品です。

中途解約は原則的にできないことなどを考えると、あまり魅力的な商品とはいえません。

 

 

もっと他にやることないの?「年金受給口座」指定運動

次は「年金に関する営業活動」についてです。信用金庫の体質を語るうえで欠かせないことです。

 

ノルマの一つに、「年金受給口座の指定」というのがありました。「指定してもらうことでメインの口座として使ってもらい、金融商品の販売に繋げよう」という趣旨は理解できなくもないです。しかし、「年金を受給できる資格があるのに受給していない人」はいません。当然、皆どこかしらの金融機関で受け取っているわけです。よって、変更してもらうとすると、必然的に「今受け取っている口座から、何枚もの変更のための書類を書いてもらう」ことになります。


ここで、顧客側の視点に立つと「変更することでどんなメリットがあるのか」という話になります。当たり前ですが。

結論からいうと、メリットなんてありません。ときどき何か年金受給者専用のプレゼントを配ったり、定期預金の金利を優遇するなどの特典がありますが、そんなこと他の金融機関でもやっています。


それゆえ、「なんとか変更してくれませんか。お願いします!お願いします!」という営業方法以外に方法がない。顧客の自宅に突如押しかけ、インターフォンを押して、「年金受給口座に指定してください!」という営業方法を選択せざるをえません。過去には、ノルマに達していないからと、支店地域内の全ての顧客リストを渡され、片っ端からお願い電話をさせられたこともありました。そんな営業方法で成果が出ると本気で思っているのだろうか。

 

どうやら、経営層は「従業員の給料」を機会費用として認識することができないようです。要するに、月給が30万円、出勤日数が月に20日だと仮定し、非効率なインターホン突撃営業を1日中させられたとすると、それだけで15,000円の費用がかかっているということ。その機会費用を融資や金融商品の販売で取り戻すためには、どれほどの労力が必要か、認識すべきではないだろうか。決して難しいことではない。それさえ認識できれば、このような非効率な営業方法が選択されることはないはずだ。

 

また、一個人が年金受給金融機関を変更したところで、経済にどのような影響があるのか。まったくありません。そのような行為に、営業の人員と労力を使う意味はあるのか。正当な経済活動であると、あるいは「世の中に対する付加価値の提供」だと自信を持って言えるのだろうか。本部の連中が「仕事している感」を出すために提案された、最も愚かな戦略の一つです。この業務により私は、途方のない無気力感を味わったのでした。

 

 

ノルマを課せば数字が取れると思っているのか!?「ローン性商品」

この項目でお伝えしたいのは、「マーケティングが下手すぎる」ということ。

前項目で紹介した投資信託や保険などの「金融商品」は、営業としての実力が試されると私は考えています。その理由は、

  1. 顧客と信頼関係を築く
  2. 何気ない会話から潜在的なニーズを把握する
  3. 論理的かつ的確に商品の魅力を伝える
  4. 契約に至る

というプロセスを経る必要があり、それは営業の人間にしかできない仕事です。営業戦術の一つとして、顧客の自宅に積極的に訪問するということも有効でしょう。

 

もし金融機関の人間の話を聞いた顧客が、資産を預金ではなくリスクのある資産で運用してみようと思ったと考えたとすると、それは非常に素晴らしいことです。営業の人間の実力を示す客観的な事実でもあり、社会的な厚生という面から見ても、資金が預金という「間接金融市場」からよりリスクがある代わりにリターンも大きい「直接金融市場」に流入し、日本経済が活発になった瞬間でもあります。

 

一方で、住宅ローンやマイカーローン、教育ローン、カードローンなどの「ローン性の商品」は、「営業をすれば売れる」というものなのでしょうか。

その答えは「否」です。このような商品は、人生の段階に応じて必要なときが決まっている。つまり、「必要なときは必要だし、不必要なときは不必要」な商品です。営業担当の立場からすると、この項目を達成するため(あるいは達成しようとする意志だけでも誇示するため)に、「ローン性の営業に特化する日」が設けられていました。このようなローン性の商品に限っては、営業の技術は活かしようがない。当然ですが、住宅ローンを組む可能性があるのは家を買うつもりの人だけ。マイカーローンを組む可能性があるのは、車を買う予定のある人だけ。「資産運用の重要性を訴える」こととは根本的に性質が異なります。

つまり、「いざ必要になったときに自社の商品を選択してもらう」ことが最重要なわけで、営業の人間の努力や技量によって数字が上がる類の商品ではないのです。しかし、私が勤めていた信用金庫の本部や上層部の人間は、「商品の特性ごとに適したマーケティング手法を使い分ける」という発想には至らないようでした。他の商品と同様に、毎月のようにノルマを課せば数字が上がると本気で信じている。

 

 

 

終わりに

 

ずいぶん長くなってしまいましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。

次回は「銀行業界の将来性」について書く予定です。お楽しみに!

信用金庫の法人営業

 

 

この記事の要約

  • 信用金庫のビジネスモデルに持続可能性はない
  • 4年目までの業務はまったく付加価値を生み出さない「雑用」がほとんど
  • 基幹業務である「融資」の社会的な重要性は今後ますます低下する

 

 はじめに

 

この記事では「信用金庫の法人営業」がどのような仕事をしているかを紹介します。

 

私が働いていた信用金庫では、新入社員は法人顧客のもとには1週間に1回程度通い、さまざまな雑用をこなします。この業務は一般的に入社5年目になるまで続けなければなりません。融資や経営コンサルティングの話もしないわけではありませんが、5年目未満の社員には融資業務をする権限などは一切与えられていませんでした。それらの業務を担当するのは基本的には「5年目以降の男性」と決まっています。入社5年未満の社員や女性はこの「法人渉外」の仕事につくことはできません。

 

この「雑用」は決して「新人が担当する業務」ではなく、支店で営業を担当をする社員は何歳になっても、どんな役職でも全員このような業務を日常的に行います。

 


法人の顧客層について

 

業務内容を紹介する前に、まずは法人の顧客層から。

 

私が勤めていた信用金庫の法人の顧客層は、零細企業もしくは個人事業主の人々が大半です。多かれ少なかれ、信用金庫であれば同じような状況だと思います。

従業員が30名程度を超えると、超VIP先として扱われていました。

それより規模の大きな会社となると、大抵はメガバンクとの付き合いがあります。ここまでくると信用金庫は基本的に相手にされず、協調融資の仲間に入れてもらうくらいのことしかできません。

 

理由は、信用金庫は従業員の質や提案内容、貸出金利ではメガバンクの足元にも及ばないからです。ですから、信用金庫は財務内容が健全ではなく、メガバンクなど他行が手を出せない、あるいはあえて手を出さない企業に対して営業活動を展開している、というのが現状です。

 

地域金融機関はしばしば「地域密着」「face to face」といった美しい言葉を自らのアイデンティティを示す言葉として多用しますが、「規模の大きな会社には相手にしてもらえないから」という方が的を射た表現と言えるでしょう。

 

 

1-4年目:おもに3つの業務がある

 

私が法人顧客にに対し行っていた業務は、おもに3つあります。

  1. 入出金
  2. 振込
  3. 納税

です。ひとつひとつ順番に見ていきます。

初めに断っておきますが、明らかに全てが営業担当がわざわざ時間をかけて行う必要のまったくない業務です。

 


①入出金

顧客の売上金を預って口座に入金したり、現金支払いのために顧客の口座から現金を出してもっていく業務です。


現金が絡むため、過去には営業担当の着服などの不正も少なくない数が発生しています。営業担当の立場からすると、顧客にこの業務を依頼されるたびに、複数の書類への記入、上司への承認申請など、煩雑な事務手続きがあります。


現金を引き出したり預けたりなんて、顧客自身がやればいい。私はそう思います。ですが、上司からは「それらの仕事は積極的に受けるように」「依頼されたら決して断るな」という指導を受けていました。

 

これらの作業は、顧客自身が行うならば、ATMを使い1分間で終わらせられる作業です。ですが、いったん営業担当に顧客の現金が渡ることから、何重もの不正防止対策の必要があり、結果的に恐ろしいほどの労働量と時間がかかります。

 

そして、そのような雑用を積極的に行った結果として、顧客に感謝されるわけではありません。

顧客側からすると、「自分で金融機関に行って手続きをしても全く問題はないけれど、どうしてもやってくれるというのであればお願いするよ」といった感じです。

 

そもそも、もし日々発生する現金の扱いに苦慮しているのであれば、顧客自身がそのような現金取引が発生しないように、振込や電子債券などに切り替えることを積極的に進めるべきです。

 

また、メガバンクなど他行は「現金を取り扱わない店舗」といった構想を掲げ、現場社員の雑務を減らすことで「経営コンサルティング」といった「付加価値のある営業活動をいかにして展開するか」を主題に行動しています。そのような流れの中で、私の勤めていた信用金庫は「ATMでもできる入出金をわざわざ顧客のもとへ訪ねていって代行すること」を頑なに続けようとしている。そのような営業方針に、果たして持続可能性はあるのだろうか。甚だ疑問である。

 


実際に、営業担当社員の観点からどのような作業が必要か、「集金(顧客から現金を預かり口座に入金すること)」を例にとってみましょう。


現場で行うこと

  1. 顧客のもとへ出向く
  2. 預かるお金を数える(間違い防止のために2回数えます。1000万円ほど出された日には数えるだけで30分以上かかる。)
  3. 通帳と現金を預かる
  4. 営業用のタブレットに金額と預かるものを入力し、サインをもらう(1円でも金額が違ったり、預かるものじたいを一つでも間違えたり、タブレット端末に入力し忘れたり、本来預かる必要のないものを預かってしまうと、上司とともに顧客のもとに謝罪に行き、さらに始末書的なものを5,6枚書く必要がある。預かったものを機械的に入力すれば良いわけではなく、実際には預かったがタブレットには入力してはいけないもの、実際には預かっていないがタブレットには預かったことにして入力しなければならないものなど、異様に細かく自己満足的な決まりが無数にある。また、預かるものは状況に応じて品目やタブレットの操作方法が逐一変わる。)

 

支店に戻ってから行うこと

  1. 現金出納機(支店で行われる入出金を全て管理するATMの親機のようなもの)に預かったお金を入れる
  2. 上司にタブレットに入力したデータと実際に預かったものが正しいかどうか、確認してもらう
  3. 事務担当に処理を依頼するための書類を作成する(依頼するにあたり追加で書かなければならない伝票類が複数存在し、その書き方に一つでも規定の方法と異なるものがあると突き返される。)
  4. 顧客から預かったものをシステムに登録し、返却予定日などを入力する
  5. 顧客から預かったものと返却する領収証などは、専用のキャビネットに専用のケースに入れ保管する


事務処理が完了したのちに行うこと

  1. 事務担当に依頼したものを取りに行く
  2. 顧客に届けるものをシステムに入力する
  3. 顧客のもとへ出向く
  4. 通帳を返却し、内容が正しいかどうか確認してもらい、その内容をタブレット端末に登録し、顧客からサインをもらう

 

とこんな感じです。

繰り返しますが、「ATMなら1分で終わる作業」です。それにもかかわらず、わざわざ「雑用をやらせてください!」と顧客にこちらから申し出て、営業店の複数の人手と膨大な労力を浪費する。ATMは決して札の枚数を数え間違いませんし、着服もしない。たしかに、このようなことを行っていると、顧客と仲良くはなれると思う。心理学でいう「単純接触効果」だ。しかし、本当に膨大な時間をかける価値があるだろうか。もっとほかのやり方があるのではないだろうか。従業員のモチベーションの向上と、顧客を含めたあらゆるステークホルダーの厚生の増加のためにも、人間は人間にしかできない、付加価値の高い業務を積極的に行い、そうではない業務は縮小、あるいは廃止すべきではないだろうか。


ちなみに、現金を届ける場合も、ほとんど同様の手続きが必要です。

 

 

②振込

 

続いては振込です。

 

今はインターネットバンキングを使えば30秒でできます。人の手を介することなく、ネット空間で完結させられます。それを「顧客との接点を構築する」という大義名分のもと、営業自らが顧客のもとへ出向いて下記の手続きを行います。

 


現場で行うこと

  1. 顧客のもとへ出向く
  2. 振込用紙に「振込日」「振込先の名前」「ふりがな」「金融機関名」「口座番号」「振込金額」「振込人の名前」「住所」を記入してもらう(金額は訂正印不可のため、間違えたら全て書き直す必要があります。そして、顧客には字を書くことが難しい高齢者が非常に多いため、たびたび書き直してもらわねばなりません。)
  3. 口座から引き落とす場合は、伝票に「日付」「支店番号」「口座番号」「名前」「金額」を書いてもらい、押印してもらう
  4. 通帳と記入してもらった用紙を預かる
  5. 預かる振込用紙や伝票、現金の情報を営業用タブレット端末に入力し、サインをもらう

 

支店に戻ってからやること

  1. 預かった書類や伝票の内容が正しいか、またタブレット上の内容と実際に預かったものが一致しているかを上司に確認してもらい、検印をもらう
  2. 振込を事務担当者に実行してもらうための書類を作成する(「金額欄の数字が違う数字に見える」「印鑑が不鮮明」といった理由でたびたび突き返される。その場合、再び顧客の元を訪れ、訂正してもらう。)
  3. 顧客から預かったものをシステムに登録し、返却予定日などを入力する
  4. 顧客から預かったものと返却する領収証などは、専用のキャビネットに専用のケースに入れ保管する

 

事務処理が完了したのちに行うこと

  1. 事務担当に依頼したものを取りに行く
  2. 顧客に届けるものをシステムに入力する
  3. 顧客のもとへ出向く
  4. 通帳と領収証を返却し、内容が正しいかどうか確認してもらい、その内容をタブレット端末に登録し、顧客からサインをもらう

 

何度も繰り返しますが、「インターネットバンキングなら1分で終わる作業」です。

 

 


③納税

 

続いては納税です。


納税はコンビニに行けば30秒でできます。QRコードを読み取り自宅で手続きが完結するようなものもかなり一般的になってきました。

 

手続きは以下の通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......

 

 

 

 

 

 

 

 

......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう疲れたので割愛します。何が言いたいかというと、「非常に煩雑かつ世の中に対し付加価値を一切提供しない仕事だ」ということです。

 

何度も何度も繰り返しますが、納税はコンビニに行けば30秒でできます。

 

 

なぜこのような「雑用」を積極的に行うのか

 

これらの業務は顧客から要請されて行っているというよりは、信用金庫側が自ら申し出て行っています。「入出金や納税、振込があればおっしゃってください。全て私がやります」と。

 

世の中全体の厚生を考えると、これらの業務は「無駄」でしかありません。なんと言っても、機械でできる作業を、いや、機械の方がむしろ正確な作業を、わざわざ人の手を使って行っているわけですから。その理由は以下の3つに要約できると考えます。

 

  1. 経営層の誰にも現状を改善するインセンティブがないから
  2. ほかの付加価値提供手段を構想する能力がないから
  3. 「貸し」を作り信用金庫側の提案を断りづらくするため

 

 

 

①経営層の誰にも現状を改善するインセンティブがないから

 

信用金庫は、社会的な役割は株式会社銀行とほとんど一緒ですが、準拠する法律が異なり(信用金庫法というものが存在します)、また「相互扶助組織」という株式会社とは違った統治手法がとられています。

そのような都合からか、総合職全員がプロパー社員で、転職組は一切いません(事務のオバチャンたちは別で、彼女らの入れ替わりは割と激しい)。ですから、異なる文化を受容する環境になく、非常に閉鎖的な職場風土が醸成されています。

上司は「とにかく俺の言うことを黙って聞け。そうすればいつかお前をそれなりの地位に上げてやるから」という態度です。立場が下の人間が上の人間に向かって業務に対する改善案や根本的な疑問を口にしようものなら、血祭りに上げられてしまいます。その問いが正鵠を射ていようが、物事の本質をついていようが、「上の人間に逆らった」というロジックであらゆる問いは否定されます。

 

バブル時代など、昔は金融機関の力は絶大でした。そのような時代であれば、「上位下達」の組織は効率的だったと思われます。なぜなら、黙っていても資金の借り手は多数存在したし、それゆえ単に「顧客から現金預かったり届けたり」といった業務にも重大な意味があった。

しかし、彼らは時代が変わったことに気づかず、その閉鎖的な企業風土のみが悪習として残っている。経営層はもれなくそのような風土、あるいは時代に育った人々です。そのような環境で30年間も過ごしてきたわけですから、そのような観念はいまさら変わらない。

 

日本の企業にはこのような閉鎖的な側面が多かれ少なかれあると思います。その中でも、金融機関はそのような傾向がかなり強く、信用金庫はとりわけひどいです。


信用金庫の上層部からすると、「昔からある業務だし、俺たちはそういうやり方で育ってきたのだから。他にやることもないし、まあ継続してやらせておくか。」といった感じでしょう。彼らにはもはや「顧客や世の中全体の厚生」を考慮することはなく、「信用金庫という組織内でいかに自らの地位の向上のために振る舞うか」ということしか構想できなくなっているように感じられます。信用金庫的な価値観に骨の髄まで侵されている。どうせ数年後には定年退職です。「いかに波風立てずに平穏に過ごし、十分な退職金をもらうか」ということしか考えられない。現状維持が最適な選択になることは必然でしょう。

 

 

②ほかの付加価値提供手段を構想する能力が組織にないから

 

仮に「経営方針が変わり、もう入出金や振込、納税は代行しないことにしよう」となった、あるいは顧客側から「電子的な手段に切り替えを行なったため、それらのサービスはもう必要ない」と言われたとしましょう。そのような状況になったとしても、何か新たな価値創造手段を顧客に提供することは不可能でしょう。

 

その理由は、営業職員は「顧客のもとに通う頻度」と「人間としての魅力」で勝負せよ、という昭和な精神論的文化が存在するからです。

 

先輩や上司による営業指導には、「もっとお客さまに愛される存在となれ」という非常に抽象的な言説が多様されます(「愛されるとは具体的にどういう意味か?」といった問いは絶対に許されません)。先輩に「どうすれば愛される存在になれるか」と聞くと、「そんなの自分で考えろ」と言われます。

 

このように、「経営改善に関する提案力を上げるべきだ」「金融機関が保有する膨大な顧客情報をもとにビジネスマッチングを行い、資金需要を自ら積極的に創出するべきだ」といった、他の金融機関が当然行なっているであろうことは、一切行われません。そこにあるのは用事もないのに足繁く顧客のもとへ通い、いざとなれば頭を下げて「借りてください」と言えば良いという、唾棄すべきものです。営業成績に関する反省会のような場でも、「数字が取れないのは営業担当としての人間的な魅力がないからだ」というような低次な精神論が多用される傾向にあります。

 

このような論理性に欠ける営業手法が、令和の時代にもめでたく継続されています。

 

 

③「貸し」を作り信用金庫側の提案を断りづらくするため

 

これは「いつも振込とか、納税とか、やってあげてるじゃないですか。だから融資はウチで受けてね」ということです。

この作戦の有効性は今後明らかに失われ、まったく価値を持たなくなるときがそう遠くない時代に来るでしょう。

 

また、他行には金利水準や提案力では太刀打ちできないという現実もあります。

従業員の教育方法を見直す、信用金庫にしか持ちえない情報を用い顧客の経営改善に活かすなどしなければ、今後生き残っていくことはできないでしょう。

 

「信用金庫ならではの付加価値の提供方法」は、なにも雑用を代行することではないはずです。

さもなければ、30歳未満の地域金融機関に勤める人間は、本気で考えなければならくなるでしょう。

「20年後に自分の会社が存在しているかどうか」を。

 

 

 

 

5年目以降:融資や経営コンサルティングができるように

私が信用金庫に入った理由は「融資を通じた経営支援がしたい」という理由でした。

では、4年間は雑用にいそしみ、「夢にまで見た法人渉外」への準備期間とすることはできなかったのか、という疑問は当然湧いてきます。

 

5年目になると、人によりますが基本的には「正式な法人渉外担当」ということになり、融資業務に携わる権限なども与えられます。

 

この時まで「ひたすら耐える」という選択肢もあったはずです。私が早々に辞めることを決断した理由の一つは、今の日本にとって「融資はもはや経済発展の手段として有効ではない」という確信を抱いたからです。

 

 

日本経済における「融資」の重要性はもはやない

 

融資が経済の成長にとって有効なのは、「一国の経済が拡大局面にあるとき」と「天災などで急激に経済活動が止まったとき」の2つだけです。

ですから、金融機関は「重要な社会インフラとしてなくなることは決してないが、存在意義と重要性はこの先低下し続ける」というのが私見です。

 

「経済成長が止まる」という現象は、日本だけではなく世界の先進国に共通する現象です。

 

従来の経済理論では、

①金融緩和による金利の引き下げ

金利の低下による融資の増加

③貸出の増加による設備投資と商取引の増加

④設備投資と商取引の増加による企業利益の増加

⑤企業利益の増加による給与の上昇

⑥給与の上昇による消費の増加

⑦消費の増加による企業利益の増加

…以下⑤-⑦の繰り返し…

 

国内総生産の増加(要するに経済成長)は達成できたわけです。理論上はそういうことだった。

 

ところが、日銀の量的金融緩和政策によって金利をマイナスまで引き下げても、貸出は増えなかった。

つまり、企業側から見ると「いくら借り入れコストが下がっても、売れる見込みのないものは作れない」というごく当たり前のことです。

 

 

 

横行する「ノルマのため」の営業活動

 

そのような、金融機関側から見ると貸出が伸びない厳しい時代。それでもノルマは絶えず降ってきます。

厳しいノルマを少しでも達成するためにとられる常套手段は、「優良企業に本来不必要な資金を貸し付ける」というものです。

 

財務内容が良くない企業には、なかなか融資を出すことができません。加えて、返済が不可能な状態になれば支店や自分自身の評価が下がってしまいます。

 

財務内容が良い企業であれば、貸し倒れるの心配もないですし、融資じたいも比較的簡単に出すことができます。

 

企業側も、将来的に経営が悪化する可能性も当然あるわけですから、そのいざというときのために「金融機関の言う通りに、本来不必要な資金ではあるがとりあえず借りておく」という行動に出ます。

 

 

営業店勤務は本部に行くための「苦行」

 

法人を担当する上司や先輩を見ていると、本当に辛そうに働いています。

 

営業店勤務をやりがいに働く社員は皆無と言ってもいいでしょう。多くの人にとって、本部に異動するための「耐え忍ぶとき」なのです。

 

現場の人間が誇りを持って働けない会社に存在意義はあるでしょうか。このような側面からも将来性が危ぶまれている事実が確認できるでしょう。

 

 

 

 

おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いかに銀行業が、とりわけ信用金庫業界が追い詰められているか分かっていただけたのではないかと思います。

次回は「信用金庫の個人営業」を予定しています。

信用金庫で働くということ

 

 

この記事の要約

  • 著者は信用金庫を約16か月で退職した
  • 地銀信金業界の現実を少しでも多くの人に知ってもらいたい
  • 記事は具体的な職務内容や社風など、地銀信金業界志望者は必見

 

 

はじめに

 

私は大学卒業後に新卒で就職した信用金庫を退職しています。

在職期間は約16か月間と、ごく短いものでした。

 

「経済の血液である資金を企業に融通し、日本経済に貢献したい」

「多様なファイナンス手段を持つ大企業よりも、融資に頼らざるをえない中小企業の味方でありたい」

との思いから、東京に本拠地を構える信用金庫に就職しました。

 

 

しかし、入社してまもなく「金庫の活動が本当に顧客のため、社会のためになっているのだろうか」という疑念がわき起こりました。また、歴史ある会社業界であるがゆえの「非合理的な社内規則や慣習」といった、理想と現実のギャップに苦しみ続けてきました。

 

 

「入社したての自分に何が分かる」

「熟慮の末に選んだ企業ではないか」

と自らを鼓舞して懸命に働いたつもりではありましたが、とうとう退職を決断しました。

 

 

退職を決めた理由

 

おもに3つあります。

 

  1. 経済情勢の劇的な変化により、「融資」による「企業の成長を通じた社会経済の発展」というビジネスモデルがすでに限界を迎えていること
  2. 定型的な、創造性を必要としない、世の中の需要と乖離した業務があまりに多く、ビジネスマンとしての将来に大きな不安を感じたこと
  3. 従業員を大切にする文化がないこと

 

 

 

私がこの記事を執筆することで、自分の考えや感じたことを整理し、また同時に少しでも多くの人に業界の現実を知っていただき、世の中や会社が変わるきっかけになれば、との思いがあります。

 

 

とりわけ地銀、信金業界を目指す就活生には、本当にこの業界に行きたいのか、知名度や少しばかりの給与の高さで何となく選んでしまってはいないか、再考していただくきっかけになれば嬉しいです。

 

 

記事の内容自体は私が働いていた信用金庫のことですが、全国のすべての信用金庫、加えて、横浜銀行千葉銀行など一部の大手を除くすべての地方銀行に共通する部分が多いでしょう。

 

 

また、メガバンクにはスマートな印象をお持ちの方も少なくないかと思いますが、支店勤務である限り銀行業界のノルマ主義、閉鎖的な環境などの部分では似たり寄ったりでしょう(本部や海外勤務となると事情は全く違うと思いますが)

 

 

また、日本中の数ある「業種企業」のなかで、どうして私は「銀行業信用金庫」を選択してしまったのか。誰もが読める形で書き表すことによって、何かが見えてくると考えます。

 

 

記事は全10回程度の予定で、全て真実によって構成されます。

少しでも多くの人に読んでいただけたら幸いです。

ROEとは何か? 会計用語を解説します

ROE(株主資本利益率,return on equity)とは、

「株主資本に対する当期純利益の割合」のことで、式にすると

{\frac{当期純利益}{株主資本}}

になります。

 

会社の所有者である「株主」が拠出した金額である「株主資本」に対して、どれくらい利益を出せたかを見る指標です。高ければ高いほど株主にとって魅力的な企業であるといえます。

 

ROEは、「収益性」「効率性」「安全性」の3つの要素に分解することができ、どの項目が優れているかを知ることにより、簡単に企業の財務を分析することができます。

 

 このROEの分解のことを「デュポンシステム」といいます。

 

{\frac{当期純利益}{株主資本}}

={\frac{当期純利益}{売上高}}×{\frac{売上高}{総資産}}×{\frac{総資産}{株主資本}}

=売上高純利益率×総資産回転率×財務レバレッジ

=収益性×効率性×安全性

 

「売上高」と「総資産」を約分すると、元の式になります。